安波茶橋について
安波茶橋は1600年付近に造られました。
琉球時代の宿道「中頭方西街道」の一部であり、
経塚と安波茶の谷間を流れる小湾川上流にかかっています。
アーチ状の石橋で、北橋と南橋の二つの橋で構成されています。
宿道:首里城から各役場を結ぶ正道、主要道。坂は石畳、川には橋をかける。
中頭方西街道(宿道):
首里城を起点に、浦添では「沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港」を通過し宜野湾、読谷、恩納、国頭方面までを繋ぐ主要道。
小湾川
中頭方西街道 首里側よりアクセス
安波茶 南橋
中頭方西街道 宜野湾側
浦添経塚通りにあるバス亭横の赤瓦東屋の裏手になります。
「安波茶橋と石畳道は、1597年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。
橋は石造のアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋と、支流のアブチ川に架けられた北橋から成ります。深い谷の滝壺の側に巨石を積み上げる大変な難工事だったと思われます。南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが平成10年に北橋を修復しました。
橋の下流側には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられる赤皿ガーがあります。」
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