経塚の碑について
16世紀のこと、日秀上人が金剛経というお経をかいた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て「妖怪」を鎮めたとされます。
この出来事は経塚という地名の由来にもなっているようです。
金剛経:金剛般若波羅蜜(こんごうはんにゃはらみつ)経
日秀上人
金武観音寺(きんかんのんじ)を開いた真言宗の日本人僧侶
関連:中頭方西海道、安波茶橋
浦添市指定文化財 史跡 経 塚 の 碑
昔、このあたりは松が生い茂る人里離れたさみしい場所で、ここに巣くう妖怪が道ゆく人々をたぶらかしていました。16世紀の初め、高野山で修業した日秀上人がお経(金剛経)を書いた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て、妖怪を鎮めたと伝えられています。
その後、地震の時に「チョウチカチカ」、あるいは「チョウチカ、チョウチカ」と唱えるとおさまると信じられるようになりました。
お経を埋めた塚を経塚(キョウヅカ)といい、この地域の名前の由来となっています。経塚の碑は旧暦10月1日のウマチーヌウガン(注4)で拝まれるなど、地域の人々から大切にされています。
昭和58年3月2日指定 浦添市教育委員会
うちょうもう公園
経塚の碑の裏側は公園(広場)になっています。
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