霊域となった形のない城「具志頭城跡」

具志頭城跡について

現在お城の痕跡はありませんが、霊域として整備されています。
戦跡として慰霊碑が建てられ、慈しみの場として重要な領域になっています。

具志頭城跡一帯は
城址地区と海浜地区の二つの区域からなる「具志頭園地」とも呼ばれ、
沖縄戦跡国定公園の一部として整備されています。

城の地下には、日本軍が陣地を構えた「暗御門(くらしんうじょう)」と呼ばれる自然の洞穴(150m)があります。

暗御門(くらしんうじょう):洞窟の墓
尚巴志の三男、具志頭王子の墓とされていて、今でも残っています。

具志頭城は、14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王第三子具志頭按司が築城したものものと伝えられ、以来、代々の具志頭按司の居城であった。その規模は、およそ二万五千七百平方メートルもあり、沖縄の古城跡の中でも大きい方で、自然の断崖の上に構えられた山城形式にして、連郭式の城である。この具志頭城北方すぐ近くにはこの城の出城としてのミドリ城がある。ミドリ城は、玉城城などの城主からの攻撃に対しての見張り所であったと伝えられている。南側には、高ヤックヮと呼ばれる見張りヤグラの石垣遺構がある。高ヤックヮは、南山城や多々名城などに対する備えとしての見張台であったと言われている。代々の具志頭按司は、盛んに海外貿易を行った。その貿易港は、城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられている。

城内之御嶽

城内之御嶽:具志頭城の守護神「アカズ森ノ御イベ」を祀る

土佐之塔

塔の由来
ここ具志頭の丘は、第二次世界大戦の戦跡であり、吾が郷土出身戦没者にゆかりの深い土地として、また隣接地はかつて津村久茂氏が慰霊塔を建立したところでもあり、今次大戦に散華された勇士の霊を弔うに相応しい處として、英霊の遺された崇高な御精神を讃える為全県民の浄財と郷土産の石材をもって、土佐の塔を建てます。
この塔が世界悠久の平和につながり、民族永遠の繁栄をもたらすことを希ってやみません。
茫洋たる大洋、紺碧の空、そして孤島に散華せられた英霊よ、安らかに鎮まりませと祈りつつこの塔の由来を記します。

甲斐之塔(山梨県)

慰霊顕彰碑、忠魂碑

慰霊顕彰碑
忠魂碑

この慰霊塔は過ぐる大戦に於いて、本土防衛の第一線として百万県民が肉親を失うという多大な犠牲を強いられ無念の最後を遂げられた戦没者の鎮魂と恒久平和の願いを込めて、七千余村民の総意で建立されたものである。
その霊域に具志頭村遺族会、創立四〇周年記念事業として新たに慰霊顕彰碑と戦没者御芳名を建立し平和の礎となられた犠牲者の遺徳を忍び感謝の誠を捧げ末永く後世に語りつげられること祈念申し上げます。

魄粋之塔

魄粋之塔、納骨堂

展望台

城内之御嶽、ゲートボール場、トイレ

ゲートボール場

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