勝連城跡(かつれんじょうあと)の歴史
勝連城の始まりは13世紀頃、沖縄のグスクの中でも古い方になります。
グスク:自治区、それに関わる城や聖地
英雄だった最後の按司(頭首)となる10代目の阿麻和利(あまわり) が
増築を繰り返すなどして、現在の勝連城を創り上げました。
勝連城は四つの城郭(四つの曲輪)からなり標高は約98mで、
上の曲(一の曲輪)へ行くほど断崖絶壁になっていきます。
瓦など、多数見られる礎石の跡から、首里城正殿のような大きな建物が立っていたと推測されます。
阿麻和利は護佐丸の中城グスクを打ち破りますが、
最大権力である首里グスクには及ばす破れることになります。
早朝の勝連城跡✨
あまわり出陣式❗
近くの子供達が
お城🏯を再現してる❗ pic.twitter.com/FlBXFIKODd— 砂川広和 (@VwBvImNL15rTjAQ) 2017年8月19日
昨日は勝連城跡でパーティの司会をしたのですが、肝高の阿麻和利も出てきて大興奮❗ライトアップされた城バックに贅沢✨ pic.twitter.com/Y10QcVAotc
— 山田真理子だよ (@oshaberimariko) 2017年11月17日
年末年始の営業時間のお知らせ
年末年始の休憩所の開所は元日を除き平常どうり9:00~18:00の開所となります。
元日は朝6:00の開所予定です。元日の早朝は例年大変混雑いたします。駐車場も満車になることが予想されます。路上駐車はしないようによろしくお願いします。
元日について
城内には照明がありません、早朝に来場する方は各自電灯などの持参をおすすめします。
城内の階段等は混雑時には危険な箇所があるのでご注意ください。
転落や崩落の危険があるので城壁や危険な場所には絶対に登らないようにしてください。
曲輪ごとに見る
四の曲輪 (ローマ帝国のコイン出土)
ウタミシガー(泉)
ウタミシ:お試し(占い) ガー:泉
(旧暦)元旦の初拝みの際、水の量によって一年の豊作・凶作を占う
ミートゥガー(泉)
ミートゥガー(縁結びの泉) ↑
水汲みを口実に外出し、若者が密かに逢瀬を行う場所となっていた。
仲間ヌウカー(カンジャガー)
この地域の鍛冶屋(カンジャー)であった仲間家が使用していた泉。
門口のカー(じょうぐちのカー)
西原御門から城内へ入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたと言われている泉。
身分の低い家臣が利用していたと考えられる。
国内初、勝連城跡からローマ帝国のコイン
脳内で燃え盛る、弓月君(キリスト教徒の迫害を受けたディアーナ崇拝の民とか)を盟主とする大秦(ローマ)人の渡来という妄想。--古代ローマ帝国のコイン、沖縄の勝連城跡から出土 国内で初めて https://t.co/vciBtoC2NI @HuffPostJapanさんから
— 森瀬 繚@新訳ラヴクラフト発売中 (@Molice) 2016年9月29日
四の曲輪から三の曲輪へ
勝連城跡「三の曲輪」
三の曲輪城門(四脚門)
柱をはめる四つのほぞ穴あり
肝高(きむたか)の御嶽(トゥヌムトゥ)
トゥヌムゥトゥ:石列
肝高(きむたか):英雄 →「肝高の阿麻和利」との敬称がある。
近くには神人かみんちゅたちが腰掛けたと言われる石列がある。↓
御嶽(うたき):聖なる場所、信仰の場所、パワースポット
すり鉢状遺構(いこう)
勝連城跡「二の曲輪」
階段の上の壇上のような場所
ウミチムン(火の神)
火の神(ヒヌカン):火の存在を敬い、それを祀る対象とされるもの(場)。
ウシヌジガマ(身隠し洞窟)
ウシヌジ:身を隠し、凌しのぐ
ガマ:自然洞穴
一の曲輪にある玉ノミウヂ御嶽と繋がっている。
舎殿跡、礎石
首里城正殿のような柱の多い構造であり、
勝連城内で、最も重要な建物であったと考えられる。
周辺からは大和系瓦も発見されていることから、瓦葺きの建物であったという説もある。当時としては先進的だった。
勝連城跡「一の曲輪」
素晴らしき眺め
玉ノミウヂ御嶽
この大きな石を霊石、御神体とした御嶽で、村の繁栄が祈願されていた。
石の表面が平らなことから、建物の基礎として使われていた可能性がある。
ニの曲輪のウシヌジガマと繋がっており、避難路としても利用されていただろうとされる。
見晴らしかなり良好
勝連城跡…首里城に対抗した最後の勢力。その景色は地球が丸い事を当たり前の様に知らされるし、そこに立つ者には長としての自覚が生まれるだろう… pic.twitter.com/sGxam23r25
— すまいるでびる Ⅱ (@SmdvEgaonoakuma) 2016年9月13日
勝連城跡。
芝生えてて日本の城っぽくない pic.twitter.com/Sb9P68xRkd— 大治郎 (@daijirou_kk) 2017年12月14日
コメントを残す