
C O N T E N T S
森川公園について

森川公園は入り口はこじんまりしていますが、中に入るとかなり大きなスペースが広がっています。
小さな山を利用して作られている公園で、頂上まで行くと良い展望がひらけます。
森川公園は大きく二つのエリアに分けられます。
一つは公園エリアでもう一つは歴史エリアになります。
公園エリアは、遊び場や運動するための場所で、大きな滑り台、テニスコート、傾斜を利用したトレッキングコースが設けられています。桜見のスポットにもなっています。
歴史エリア(パワースポット)は井泉や大きな石門の御嶽があり、その雰囲気はかなり独特なものになっています。
そこには慰霊碑もあったりして、心霊スポットとしても有名だったりします。
公園エリア
植物広場







公園全体図

高低差を利用した約600mのトレッキングコースがあります。
子供の遊び場エリア

滑り台



砂場


テニスコート

通路、トレッキングコース











芝生広場、展望広場


公園と御嶽の境目

階段で仕切られています




歴史エリア(パワースポット)
公園エリアと違ってここは雰囲気のあるパワースポットになっています。
森の川 拝所



森の川(ムイヌカー)
沖縄県指定名勝 宜野湾市 森の川
森の川とは樋川のことを指すのだと思います。








森の川 拝所

ユタかもしれません。
石室の門を子供が潜っています。




ここには何が宿るのでしょう。




公園側へ



謝名西森御嶽(ウガンヌカタ拝所)


謝名西森御嶽の石門

御嶽の入り口に置かれた石門は神と繋がる窓口のような意味合いがあり、
神社で例えると拝殿のようなもので本殿、御神体が後ろの御嶽になります。
御嶽前の石門といえば首里城の 園比屋武御嶽石門(世界遺産)

森の中には古代人が住んでいたとされる洞窟があり、貴重な遺跡となっているようです。


についての碑文について記したもの。
石門について
この石碑は高さ120cm、幅30~60cm、厚さ10~22cmのニービヌフニ(微粒砂岩)でできている。 尚清王(在位1527年~1555年)の第七子を初代とする向氏(しょうじ)伊江家の人々が、この石碑の前にある石門と森の川の石積み工事を行い、その完成を記念して雍正(ようせい)3年(中国年号・1725年)に建立したものである。
宜野湾羽衣伝説(石門裏にある碑文)
碑文には、「森の川で沐浴していた天女と奥間大親(おくまうふや)とが出会い、一男一女が生まれた。男の子は察度と名付けられ、後に中山王に就いた。私たちの元祖尚宗賢伊江王子朝義の母は、宜野湾間切謝名村(ぎのわんまぎりじゃなむら)の野国掟(のぐにうつち)の娘で、名を城「ぐすく」の大按司志良礼(うふあんししられ)といい、尚清王の夫人である。私達子孫は毎年5月、西森および森の川の泉を拝んでいるが、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説があるからであろう。↓
石門と森の川の工事について(石門裏にある碑文)
これらの事情により、私達は資金を寄せ、石工を集め、石を切り敷きつめ、泉を囲み、門を造った。また、西森の前にも長さ五丈四尺(約16.4m)の石垣を造り、門を開け出入りができるようにした。これらは先祖をしのび尊ぶためである。よって、ここに石碑を建立しその事を記す。
大清雍正(ようせい)3年9月吉日、向和憲垣花親方(うぇーかた)朝理・向良顕伊江按司(あじ)朝良、向和声西平親方朝叙」
とある。
碑文の末尾の人物は三司官(さんしかん)の向和声を含め、いずれも伊江家の子孫たちである。

石門前の空間



森川之塔

神酒森拝所



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